「ハイキュー!!」はどういう漫画なのか



…を語る前に先ず及川徹と云う人について考えてみます。

及川徹は少年漫画のスポーツもののライバルキャラとしては結構異質なタイプだと思います。

人一倍努力して得た自分の実力に矜持を持ち、競技に真摯であるが故に、天才に対して過度な劣等感と敵愾心を抱いた嫉妬深い自意識過剰キャラ……と云うタイプは、それまでのスポーツ漫画のライバルキャラに居なかったわけではありませんが、しかし及川は、基本的にどれだけ敵愾心を抱こうとも、どこかで爽やか且つ健全な精神的決着に辿り着くのが良しとされる少年漫画のスポーツもののライバル像から少々逸脱しています。

何しろ高校最後の対決だったにも関わらず、最大のライバル的に描かれ続けてきた筈の及川と影山の関係性に、何の変化や着地点も用意されなかったところからして、及川は従来型の少年漫画ライバルキャラとは明らかに扱われ方が違うのです。

ハイキューでの及川のプレーヤーとしての出番はこの試合までなんだから、影山との関係に何らかの方向性が示されるのが、少年漫画作品の決着の付け方としては一般的だと思うのですが、保留としか呼べないような状況で、及川は物語からいったん退場となりました。


ところで及川徹的なキャラは、少女漫画や少女小説には大昔から割とよくいるんですよね(笑)。

才色兼備で周囲から一目置かれ、慕われてもいたプライドの高い女王様的キャラが、ある日自分以上に優れたものを持つ主人公キャラの登場で、嫉妬心や焦燥感に駆られてネチネチと主人公キャラをいびったり、そこまでしなくてもあからさまに冷淡にしたりする…ホラ、昔から少女漫画によくあるパターンだけど、及川と似てるでしょ(笑)。

私的に及川徹がいちばん立場やメンタル面で似ていると思ってる少女漫画のライバルキャラは「エースをねらえ!」のお蝶夫人こと竜崎麗香です(爆)。

お蝶夫人は厳密にはライバルキャラとは云えないかもしれないので、緑川蘭子を足して2で割れば丁度いいかもしれない。緑川蘭子は努力の人だし弾丸サーバーだしな。

詳細は省きますが、お蝶夫人は最初こそ主人公・岡ひろみに冷淡だったものの、ひろみが結果を出すようになるに従い、心に蟠りを残しつつも徐々に態度を軟化させていきます。

お蝶夫人は、ひろみのプレーヤーとしての成長とそれに伴う周囲の変化に合わせて現状を受け入れ、自分自身の気持ちに少しずつ折り合いを付けて行ったわけですが、及川は恐らくこのパターンの入り口の所で出番を終えたキャラなのだと思います。

お蝶夫人が状況に応じて柔軟に変わって行ったのに対し、及川徹が変われない理由として考えられるのは、女と違って男は勝ち負けの比重が価値基準として非常に大きいと云う事と、確執のある後輩と過ごした期間の長さが違うと云う所にあると思うのですが、もう一つ、実は及川が子供っぽい性格だったからじゃないかと思うんですね。


中学時代、ウシワカと云う壁と影山の天才ぶりの間で押し潰されそうになり自滅しかかった及川の目を覚まさせたのは岩泉で、高校3年になっても心のどこかで天才ではないから自分は勝てないと云う考えに囚われていたと推察される及川に、まだ身体も技も精神も出来上がってないじゃないかと諭したのは年長の指導者と思しきシルエットの人物でした。

これらの事から私は、及川は精神的ドツボにハマった時に自分自身では指針を打ち出せず、視野狭窄型思考停止に陥ってしまう性質の人間なのだと考えます。

つまり及川は一見しっかりしているように見えますが、ハイキュー高校3年生キャラの中では人間形成的には未熟な方に位置付けられた(実際花巻にコイツこれで高3か…と呆れられてますし)自分自身では変化出来ない、まだまだ子供な部分を残したキャラとして描かれてるのではないかと思うのです。
それが如実に示されているのが、シルエットの人物との回想シーンです。

自分では変われない及川が変わる為には、自身の硬直した思考ロジックを打ち破ってくれる他者が必要なんですね。

シルエットの人物が何者かは判りませんが、あの回想シーンは恐らく指導者と被指導者間で「対話・気付き・助言」があったのだろうと受け取れます。

中3時の岩泉の説教は同輩間の出来事なので、感情の衝突を伴う幼い方法での変化の促しでしたが、回想シーンの相手は大人と思われますので、及川との間にある種のメンターシップが成立していたのでしょう、説教ではなく適切な助言による自発的な内面変化を及川にもたらしたわけです。

つまり及川徹のキャラ設定にはライバルとの関わりによって変化すると云う従来型パターンが用いられなかった為、影山との間にドラマツルギーも関係の進展も無いのが必然となってしまったわけですよ。

スポーツもの少年漫画の作劇としてそれはどうよ、と思われる諸兄姉は多々おられると思いますが、前記事の最後に書いた、私がハイキューに感じているものの核心がまさにそこにあるんです。

それはズバリ「大人」の存在意義です。


日本の漫画は基本的に少年少女が読むものです。
そして日本には学校のクラブ活動と云うものがありますから、スポーツ漫画の大半は、読者年齢・読者環境に最も近い中学・高校の部活が舞台となり、部員を主人公として、その活躍が描かれる物語が展開されます。

で、その部活スポーツ漫画の最大の問題点と私が考えているのが、部員である中高生の行動や活躍に重点を置くあまりに、大人の存在が無視されていたり希薄だったり蔑ろにされていたりする所です。

少年少女向けスポーツ漫画に出て来る重要な大人キャラであるコーチや監督は、その殆どが選手の指導と試合の采配の為だけのキャラで、作品によっては主人公チームに監督もコーチもおらず、選手(部員)だけで話や試合が進むものもありますが、正直そういうのは非現実的です。全国大会に出場するようなチームなら尚更です。

もっと酷くなると、スポーツ漫画に限った事ではないですが、大人キャラを無能に描く事で、相対的に主人公をアゲる(格好良く見せる)作劇方法を使う漫画もあります。

私が「ハイキュー!!」と云う作品を好ましく思っている理由のひとつが、子供(高校生)と大人の役割分担がしっかり描かれていて、大人キャラの存在が物語の必然性にきちんと組み込まれているところです。

大地さんや菅原さんが十代とは思えないくらい人間の出来た主将&副将だろうと、所詮高校生の身では出来ない事がいっぱいあり、その出来ない部分については大人(教師やコーチ)の力が必要だと云う事が、至極当たり前に描写されているのです。

物語開始当初、烏野高校男子バレー部には監督もコーチもおらず、バレーボールはズブの素人だけど部活をサポートする熱意だけは満々の教師が顧問になってくれたばかりの状態でした。

部員にやる気があっても、顧問が熱心に動いてくれないと練習試合もなかなか組めないと云う、スポーツ科の無い普通の公立学校の部活の脆弱な部分がサラッと描かれ、三十路メンタルでしっかり者の大地さんでさえ、試合中に自分が監督的立場で指揮がとれるかどうか判らないと、高校生(子供)らしい不安を口にします。

大地さんは高校生の力だけではやれる事に限界があると判ってるんですね。
それを重々承知の顧問の武田先生は、必死になって烏養くんをコーチにスカウトしてくるわけです。

私はスポーツ漫画としての「ハイキュー!!」の特長は、少年少女向け漫画で物語的に無視されがちな大人キャラに存在意義を持たせたところだ思ってるわけですが、実はその大人キャラの描き方にも余り見掛けない手法が取られていると思うんです。
ちょっと長くなってしまったので、そこら辺の話は次に回す事にして、ここで一旦切ります。

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この記事へのコメント

通りすがり
2016年05月14日 21:42
及川は変われない~って、変わってませんでしたっけ(笑
ライバルキャラとの交流で変化・成長する類のコンプレックスではないと言うだけで、彼自身はちゃんと変わっていますよ。

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